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64年「感傷旅行」で芥川賞を受賞した田辺聖子さんと04年に「蹴りたい背中」で同賞を得た綿矢りささん。世代も文学的体験も異なる二人が,古典の読み方や作品の評価基準など「文化のモノサシ」を話のきっかけとして語り合った。柔らかな関西言葉で会話がはずんだ。
綿谷: 前にお目にかかった時に「源氏物語」を全部読んでないと言ったら、「読みなさい」とお叱りをいただいて。ありがとうございます、読んでよかったです。ラストがあんなに寂しいものと知らなくて、今までの豪華絢燗さがすべて夢みたいに消え灰のようになる、あの寂しさに感一銘を受けました。
田辺: それはすごくいい読み方だと思う。紫式部はきっとそういうことを言いたくて「源氏」を書いたのでしょう。「源氏」って性格描写がすごいでしょ。ひとりひとりがよく書けていて顔つきまで想像できる。
綿矢: 私のなかでは親しみやすい古典と、親しみにくい古典があって、親しみやすい古典は、「源氏物語」や「小倉百人一首」。学校で習っていた時はおしなべて親しみにくかったんですけど、自分で手にとるようになって、同じ文学としてどれが好きどれが嫌いと思えるようになりました。
田辺: 古典を紹介される作家がもう少し出てくださればと思う。作家の体を通して古典の面白さを紹介できたら、読むほうも、納得しやすいかもしれません。
綿矢: 自然のもの、月や雲や、すごく昔から同じような感じ方をしたんやな、と思うんです。平安時代って明け方の時間が重視されましたよね。いまその時間を惜しむ感覚ばないけど、明け方の月を見て寂しい気持ちになることとか、よくわかります。
田辺: 明け方の月に特別な意味があるのは、恋人が帰る時間だからなのよ。
綿矢: そうなんですね。
田辺: 「源氏物語」のようなすごい文学が先祖にあったら、あとあとの我々はしんどいわね。私はある時、「大阪弁の源氏」を書いてやろうと思ったの。ユーモア仕立てにしてみたり、目にやさしい表記を工夫して、ひらがなで「ん」と書くところをカタカナにしてみたり。いろいろ工夫して「源氏」を愉しめばいい。
綿矢: 方言、その土地の言葉って可能性ですよね。私自身は次の作品も標準語で書くと思うけど、大阪弁で書かれた小説を読むのは好きです。優しいし懐かしい感じがする。カモカのおっちゃん(エッセーにしばしば登場する、田辺さんの夫の故・川野純夫氏の愛称)は、奄美大島のご出身でしたね。
田辺: 奄美の人は酒が入ると、じいさん、ばあさん、若い人も、奄美の民謡を歌って踊ってね。これが人間の原点かと思ったわ。それぞれの地方からもっと発信があれば、小説の間口もずっと広がるのに。
綿矢: 先生の作品や『芋たこなんきん』を読んで思うのは、戦前の日本がどういう感じだったのかがわかることなんです。学校で習う歴史では、何となく今の日本は第2次世界大戦から始まっているような心持ちになる。先生の本で、『風と共に去りぬ』でいえは南北戦争前の優雅さが、戦前の日本にあることに気づいて。そういう話をもっと読みたいです。
田辺: それを書くのは、我々年配者の義務ですね。昭和の初めって文化の爛熟期でした。ことに大阪は食べるものや着るものにぜいたく。『細雪』はそういう時代の話よ。今の若い人は日本は焼け跡から出発したと思ってる。戦争って、すべてぽっかりなくしてしまいますからね。
田辺: どうやって本を手にとるかと言うたら、新聞の書評、これはよく見ますよ。書評を読みたいから、以前は5紙とっていた。いまは時間がなくて、2紙に減らしましたけど。本の広告もじっくり読む。これは気合が入ってるな、とか。それで本屋さんにまとめて注文しますね。
綿矢: 私は自分が本を書くようになって書評が出てることを教えてもらうまで、書評というものを知らなかったんです。
田辺: そうなの?
綿矢: 書評というジャンルも、評論家という人の存在も知らなかった。書評で本を手に取るということは今までの生活ではまずなかったし、同じ年代の人も、特に意識はしてないと思う。
田辺: 学生さんや普通の人はそうかもしれませんね。むしろ、気になるのは噂?
綿矢: そうですね。そういうのは(書店員が選ぶ)「本屋大賞」などにもつながっていくように思いますけど、自分の身近な人が面白いと言ったものがいちばん信用できる感じがあります。あとは帯。帯の効力は強いかな。
田辺: 私はベストセラーの本は、本屋で見るけど、買うとは限らないですよ。ただ自分の好みの作家は買って読む。
綿矢: たくさんの人が読んでるというのは気になりますね。だから『ダ・ヴィンチ・コード』も読みました。あたりはずれという点で、すごくがっかりすることはないだろうな、と。
田辺: どんなものでもね、物書きやったら、読まないより読んだほうがましですね。若い時は乱読多読。世界文学全集で読みました。でも夢中で読んだのは『風と共に去りぬ』。トルストイなんかは、面白くなかったわ。
綿矢: 大学で国文学科に行ったので、マニアが多くて読む張り合いはありました。でも教養的読書とかそういう気負いはないです。家に世界文学全集なんかひとつもなかったし。昔は必ずあったんですよね?
田辺: 家具みたいな感じでね。私の若い時は戦後で、本よりも映画から影響受けましたね。全盛期のハリウッド映画の雰囲気から短編書いたりね。日本映画から影響受けたということは、まったくなかったけど。
綿矢: 私はオードリー・ヘプバーンやマリリン・モンローの出てくる映画がすごく好きで、私の書くものとはちょっと違うんですけど、映画の華やかさってすごく心に残るし、めざすところはあるなと思います。
綿矢: 一人暮らしの部屋でひとりこもってずっと書いてて、ちょっとガタが来てるっていうか、寂しいですね、やっぱり。
田辺: 仕事のことばっかりにならない?
綿矢: なりますなります。朝起きて夜寝るまで、書けなくてもそのことにとりつかれていて。
田辺: 精神衛生に悪いね。
綿矢: 人と話せば空気が変わったりとか気がまぎれるんですけど、一人でやっていくのは限界あるかなと最近思うようになって。一人暮らしは本が読めていい、と思ってたのに、一人でいすぎると、本も読めなくなってくる。
田辺: お酒は飲む?。
綿矢: 飲みません。
田辺: 飲み友達がいると、いろいろ話が開けてくるんだけどなあ。しゃべる相手がいると。ご結婚はまだ?
綿矢: 結婚、早くしたほうがいいですか。
田辺: いいか悪いかはおいて、考えの出どころが男と女とで違うと思う。男の子は片言隻語が面白い。ほんのひとくちが。彼らはそれを敷衍(ふえん)して大きく言うことはできないけど。
綿矢: 先生のエッセーを読んでると、かぎかっこの中の会話がはずんで、本当に楽しそうで。一人でいる時に読むと、自分もそのなかに参加してるようで孤独をいやしてくれます。
田辺: たいがい創作よ。針小棒大というやつ(笑)。ほんのちょっと誰かが言ったことで、30枚くらい書いちゃう。ただそういうふうに広げていくには、それまでの自分の人生があってのことで、小説家っていうのはいろんな人間を自分の中に抱え込んでいるから。綿矢さんはいま、おいくつになられましたか?
綿矢: 22歳です。
田辺: 春秋に冨んでるわね。私はその年のころ、大阪の金物間屋でお勤めしてたわ。そこでいろんな男の人を見て、火花が散るような笑い、切ったら血が出そうな大阪弁をしょっちゅう耳から流し込まれて。あんな元気のいい、明るい、考えるより先に言葉が口から出てくる連中の面白さを書かなあかんという気がしたの。